長心寺 安産
当時も戦国争乱の大永年間(1521~7)の創建で、本尊は子安観音といわれる。
別堂の阿弥陀如来像は同部落の「あみだ屋敷」にあったものを、いつ(元楽13年1700年)のころかここに移したもので、相当の古仏である。同座の地蔵菩薩立像(台座ともに高さ約68cm)には「此地蔵尊ハ千体仏ノウチ終ノ一尊也 心庵良淳和尚ノ三州ニテノ御作也 時天正元年子五月廿四日二三州ニテ右千仏ヲ御供養アリ 産ハ志州的屋浦ノ弥□□殿ノ先祖也」と刻記してある。
天正元年(1532)は当時創建後約10年に当たり、三河でつくられたこの仏像が当時に納められたいきさつはいつかわからない。
別堂の弁財天は昭和10年(1935)琵琶湖の竹生島から勧請したもの。境内に名古屋の俳人横井也有の「帆の見ゆるかたは霞の日間賀島」句碑がある。